付ける名前のないブログ

備忘録 不定期

もう一度

「ブログ」

懐かしい響きです。

かつてインターネットに入り浸った少年たちは、このブログというサービスを通して、好き好きに自分の書きたいことを書き、趣味の合うブログを書いている人を探して記事にコメントを書き、そのコメントに返信を書いたり、コメントしてくれた人のブログを訪問して自分もコメントを書きに行ったりしてコミュニケーションを取っていました。

 

私も例に漏れず、中学生~高校生くらいの頃入り浸っていました。

 

中1くらいの頃でしょうか。ホームページを作って、学校の友達と訪問し合ったり、CGIでゲームを作ったりしてホームページの中に開設して、それで一日中友達と遊んだりするのにドハマりしていた時期がありました。

そんな中、にわかに流行り始めたブログというサービス。初めは「周りもやってるから自分もやってみよう」という、実に日本人らしい思考で流されて始めたように記憶しています。

同じ頃、自覚なく陰キャ街道をズンズン突き進んでいた私は、とあることをきっかけに趣味としての「鉄道」に出会ったところでした。従って、記事の内容は必然的に鉄道の内容が多くなっていったような気がします。

しかし、その頃の身内との共通の話題は殆どゲームで、鉄道の話をする同級生は殆どいなかったように記憶しています。そのこともあってか、次第に「同じようなブログはないか」と検索をかけて、同じ「鉄道ファン」の中学生たちのブログを訪問し始め、同じことを思ったであろう人たちが私のブログにコメントを残しに来たりしました。

当時は「インターネットで知り合った人と会うのは危険」という考えが大勢を占めていたため、仲良くなった「ブロ友」と、親に内緒でこっそり会ったりしたものです。

でも、そうやって趣味の輪が広がっていくのが本当に楽しかった。

記事の内容は今から振り返ると本当に稚拙なもので、そしてお互い妙に他人行儀で、こんなことをお互いに書いていて、今では何が楽しかったのだろうと思います。

まあ、平たく言うと黒歴史です。

 

その後、とあるブロ友の記事に「Twitter」というサービスに投稿した内容が流用されているのを見つけます。

のちにSNSと呼ばれるサービスの一つとなり、皆さんご存じの通り現在は社会に大きな影響力を持つ媒体となっていますが、当時はそんなこと予想もしていなかったので、これまたブログを始めたときと同じように「周りもやってるから自分もやってみよう」という考えでTwitterを始めました。

そして、(経緯はまた別の機会に書くことにしますが)このTwitterというサービスがえらく私の性に合い、やがて私の生活の一部になりました。

Twitterは脳を粉々に破壊するよ」なんてコラ画像が出回っていますが、本当にその通りだと思います

Twitterで同類のオタクたちと交流を重ねる中、ブログはコミュニケーションツールとしての役割を終え、放置するようになります。

また、交流する人数が増えるにつれ、ネットへの向き合い方が徐々に変化し、やがてかつてのブログを含む自分の投稿を「黒歴史」として認識し始めるようになります。

中学生の当時は「自分たちを厨房扱いしてくる2chの奴らはクソ!」なんて思ってましたが、今から思えば、吊るし上げられて嘲笑されても仕方がない内容が盛りだくさん。やっぱりガキだったなって思います。

それをネットの海に放流したままにするなんてとんでもない。

 

結果、数年前、私のブログは静かにネットの海から消えました。

 

 

今でこそ当時の自分の思考を客観的に再分析し、それをプロセスとして文章にすることができていますが、当時は結構その場の勢いで動いていたので、難しい理屈は抜きに、こうなるのも必然だったように今は思います。

周りも、似たようなタイミングでブログからフェードアウトしてSNSに完全移行しているのを見ていましたし、きっと私に限らず、コミュニケーションツールとしてブログをやっていた人はSNSに流れたんじゃないかと思います。

結果として、(一方的にメッセージを発信し、かつそれを受信する一般人からの需要がある有名人を除き)ブログはその役目を終え、過去のものになっていたように思います。

 

 

閑話休題

前置きがとても長くなってしまいましたが、ここからは「何故またブログを始めたか?」ということに触れます。

 

数年前から、周りでブログを再び始めるTwitterのフォロワーが増えてきました。

中にはとても面白く、またはとても読みやすい文章で、普通に書籍としても読めるんじゃないか?という文の記事を書いている人もいて感心する限り。

ただし私は、自分の書く文章は人にとって面白くない、と考えているので、ブログを改めて始める需要はない、と考えて、流れには乗らずROM専に徹していました。

一方で、Twitter依存症の私は、考えが巡るとTwitterに延々まとまりのない文章を垂れ流す害悪と化してきつつあり、その傾向は今も変わりません。フォロワーの皆さまにはいつも大変ご迷惑をおかけしております。

私は結構何かにつけてやたら考えてしまう(その割に結論が出ないことも多々)方なので、それを頭の中だけで処理するのは結構難しく、何かあると文章に起こしてしまう癖があります。しかし文字を手書きで書くのはめんどくさいので、スマホで手軽にポチポチ打って軽率に投稿できるTwitterは、掃き溜めにするのにうってつけ…という訳です。

とは言っても誰にでも見せられない内容は極力鍵アカウントで書くように心掛けていますが、やはり「見たくないもの」を身内に見せている、という罪悪感は薄々常に感じていました。

やっぱり、「見たい人にしか見せちゃダメだよね」。

これが1つ目の理由。

 

もう1つ。

諸事情あって今私はちょっとした人生の転機の最中におり、在宅勤務でレポートを無限に書く立場です。

その中で、ある問題に対して私自身の考えも交えながら書き進めていくわけですが、「今自分の行動原理に軸はあるつもりだけど、全然頭の中が整理できていない」ことを痛いほど思い知らされました。

そして、それを振り返ろうにも、そういう考えはいつもTwitterの闇に投げ捨てているので、まとめてあるものが何もない。

私は「人に分かりやすく喋って物事を伝える」ことが苦手なので、整理もしていない考えを人に伝えても大体伝わりません。相手の反応を見れば分かります。それを「求めていない」人に伝えるのは害悪自分語りオタクそのものなので、単純に控えるべきですが、聞かれたときに答えられないのはあまり好ましくありません。

なので、「自分で振り返れるものが欲しい」と思いました。

これが2つ目の理由です。

 

 

というわけで、このタイミングでブログもう一度始めてみます。

ですが、あくまで日頃の思考の書き出しとか、自分自身の振り返りや戒めとして書いていきたいと思っているので、「読んでいて面白い記事の掲載」「頻繁な更新」はそんなにしないと思います。

私は文章書くの自体は結構好きな方なので、あくまで気が向いた時のちょっとした暇潰しレベルで。

ほぼ自分自身の参考にするために始める形ですが、自分が書いた文が物好きな人の暇潰しや参考になればいいなとは思うので、一応公開します。

何卒。